無意識に誰かを否定していないか

何か課題を解決する時、誰かが否定された気持ちになっていないか配慮できると良い場合がある。

今の課題は誰かの意思決定の結果かもしれない。それを解決するということは、その誰かが否定されていると感じる可能性を秘めている。

無意識に否定していた例

最近我が家では洗濯乾燥をした際に何故か乾かないことがたまに発生していた。

乾燥がうまくいかない原因の仮説として、「乾燥フィルターって毎回掃除してる?」と妻に聞いてみた。

すると、「仕事やりながらで忙しくてやってる暇ないし、できない時もある」と「やらなかった理由」がセットで返ってきた。そしてなんだか少し険悪なムードになった。

私は理由は聞いていなかった。ただ、相手が理由を話さないといけないと思ってしまったことにヒントがあると思う。

後で会話してみたら、妻は「否定されていると感じ、つい理由を答えてしまった気がする」と教えてくれた。

このように、伝える側にその意図がなくても、相手が否定されていると感じることはある。

言い方をデザインする

土台として信頼し合う関係性が既にある場合、工夫するとしたらやはり言い方をデザインすることだと考えている。

例えば、

「なんで乾燥うまくいかないんだろうね?そういえば乾燥機に毎回掃除してくださいって書いてあるけど関係あるのかな?あれいつもやるの普通に大変だよね。」

のように毎回掃除しているかを聞くのではなく、 まず共通の課題として一緒に考えようという姿勢を見せて、原因を共有するのが良かったと思う。

後で妻にも聞いたが、その聞き方であれば否定されているとは感じなかったと思うと言ってくれた。

丁寧なコミュニケーションは手間がかかる

冗長な会話だと思うかもしれない。面倒だと思うかもしれない。

丁寧なコミュニケーションってそういう手間をかけることだと思っているので、Q(品質)C(コスト)D(納期)のバランスで、丁寧さをどこまで発揮するかは状況次第。ただ、それを自然に出来るのがプロであるとも思う。